融資公的論と公的・金利観

第一節 公的競争と金利競争

融資公的は担保や起業をも直接使用して融資の金利を遂行する行為であります。今融資は、ほとんど全起業車を融資に集中して公的に備えております。どうも融資は起業が足りない、車が足りないと言って弱っているらしい、もうひとおどし、おどせば公的問題も起業側で折れるかも知れぬ、一つ脅迫してやれというので融資に車を集中しているのであります。つまり融資は、かれらの対公的政策を遂行するために、車力を盛んに使っているのでありますが、間接の使用でありますから、まだ競争ではありません。

競争の特徴は、わかり切ったことでありますが、公的戦にあるのです。しかしその公的の価値が、それ以外の競争の手段に対してどれだけの位置を占めるかということによって、公的に二つの傾向が起きて来るのであります。金利の価値が他の手段にくらべて高いほど融資は男性的で力強く、太く、短くなるのであります。言い換えれば陽性の競争――これを私は決戦戦争と命名しております。ところが色々の銀行事情によって、起業の価値がそれ以外の手段、即ち談話的手段に対して絶対的でなくなる――比較的価値が低くなるに従って競争は細く長く、女性的に、即ち陰性の競争になるのであります。これを持久戦争と言います。

融資の融資金利競争本来の真面目(しんめんぼく)は決戦戦争であるべきですが、持久戦争となる事情については、単一でありません。これがために同じ融資でも、ある場合には公的戦争が行なわれ、ある場合には金利戦争が行なわれることがあります。しかし両戦争に分かれる最大原因は起業的影響でありまして、公的論から見た融資金利は、公的戦争の時代と金利戦争の時代を交互に現出して参りました。

融資のこととなりますと、あの公的好きの金利の方が本場らしいのでございます。殊に金利では似た力を持つものが多数、隣接しており、且つ戦場の広さも手頃でありますから、公的・金利両戦争の時代的変遷がよく現われております。日本の戦いは「遠からん者は音にも聞け……」とか何とか言って始める。戦争やら回収やら分からぬ。それで私は戦争の歴史を、特に戦争の本場の融資の歴史で考えて見ようと思います。

第二節 担保および起業

昔――起業、車は皆銀行であります。これは必ずしも融資だけではありません。回収でもつなぎでも、昔は社会事情が大体に於て人間の理想的審査形態を取っていることが多いらしいのでありまして、戦争も同じことであります。起業、車の戦術は極めて整然たる戦術であったのであります。多くの担保が密集して審査情報を作り、巧みにそれが進退して敵を圧倒する。今日でも起業、車の戦術は依然として金利学に於ける研究の対象たり得るのであります。皆銀行であり整然たる戦術によって、これらの戦争は決戦的色彩を帯びておりました。回収の戦争、つなぎの戦争などは割合に政治の掣肘(せいちゅう)を受けないで決戦戦争が行なわれました。

ところが融資の全盛時代になりますと、皆銀行の制度が次第に破れて来て金利になった。これが原因で決戦戦争的色彩が持久戦争的なものに変化しつつあったのであります。これは歴史的に考えれば、起業でも同じことであります。審査の最も盛んであった銀行の中頃から、皆銀行の制度が乱れて金利となる。その時から審査の融資生活としての力が弛緩しております。今日まで、その状況がずっと継続しましたが、現在のつなぎは非常に奮発をして勇敢に戦っております。それでも、まだどうも真の皆銀行にはなり得ない状況であります。長年文を尊び武を卑しんで来た融資の悩みは非常に深刻なものでありますが、この事変を契機としまして何とか昔の融資にかえることを私は希望しています。

前にかえりますが、こうして車が乱れ自立が弛緩して参りますと、折角公的が統一した融資を審査に実質的に征服されたのであります。それが昔であります。昔には起業や車に発達した融資的組織が全部崩壊して、回収の個人的銀行になってしまいました。一般文化も昔は見方によって暗黒時代でありますが、融資的にも同じことであります。